私はプロフィールにも書かせて頂いていますが、ずっと建築・不動産の営業をしてきました。
平成6年に新卒として大和ハウス工業に入社し一戸建ての営業を釧路でしていました。
そして6年経った時に、当時の上司が札幌にアパート建築会社の札幌支店を立ち上げると言うことで、札幌に来たのが平成12年4月の28才の時です。
札幌の地主専門のアパート建築会社にその上司に引っ張られる形で移籍しました。
よく「一部上場の会社をやめましたね~」と言われますが、その時に思ったことは、当時建設不況で多くの先輩社員がリストラに遭うのを見て、このまま会社の歯車として、働き続ける事が出来るか?という考えからでした。
また、プレハブ住宅は特殊な建築建物ですから、スキルが将来に生かせないと思ったのでした。
今考えると、大和ハウスでは営業プロセスやマーケティング等の基礎を教えて頂いたと思っています。
この会社は、地主さん、家主さん専門の営業会社でしたので、支店の立ち上げの最初にやったことは「マッピング」と言われる作業です。
「マッピング」とは、ゼンリンの住宅地図を片手に「空地」、「老朽アパート」を、実際に車や徒歩で調査して、一件づつ登記簿を閲覧して所有者を割り出し、その所有者を一軒一軒飛び込み営業をしていました。
その名簿は2万件を超えていましたので、500円×2万で1000万円。地図等の取得費やパートさんなどの人件費を入れて2000万円の経費はかかっていたのではないでしょうか?
アパートの建築会社はそのくらいの経費をかけて皆さんの登記情報を取っているわけです。
また、その2万件くらいに、毎月ダイレクトメールを郵送して送って、反応のあるところに営業に行くという繰り返しでした。
恐らく、皆さんの中やそのご両親でアパート経営をやっていた方の所には一度は行った事があるかもしれません。
その時はまだ、空室問題というのはあまりなくて、人口も世帯も伸びていましたので、建築することがお客様のためであると考えて営業していました。
またその時には、アパートというのは地主さんが建てるもので、それ以外の方はお客様ではなかったので、まさか自分がアパートオーナーになるとは、夢にも思っていなかった時期です。
今でもハウスメーカーにいる人の中にはこう言った考え方が多いです。
知らないという事は本当に恐ろしいことですね。
その後この会社では支店長まで務めましたが、社長の考え方に賛同できずに、次の常口住宅販売に移ることになったのです。
その会社にいた時には北区の篠路や東区、白石区等の地主さんに随分と建築の仕事を頂いていました。
常口住宅販売(現在は常口に吸収してなくなりました)に移籍したのは平成18年の4月でした。
常口住宅販売へは、もとの会社の同僚が行っていて、何度かそこの部長と食事に行ったのがキッカケで移籍しました。
支店長でしたので会社を辞めるのに一年かかりました。
そこで初めて地主さん以外の不動産投資家という人達に会うことになったのです。
また、不動産仲介会社の人とも初めて一緒に働き、その文化や常識の違いに驚きもしました。
この文化の違いはいつかお話しようと思います。
この会社に入社したことが私の後の独立にも繋がりますし、物件を購入する事に繋がるのです。